パリの町並みを闊歩ーーエリック・フォトリノ著「光の子供」
過去に一度だけフランス映画を見に行ったことがあるが、仕事帰りだったせいか睡魔に襲われてしまい、かなり悔しい思いをした。
それ以来、フランス映画・イコール・眠いもの、といったイメージがついてしまった。
だが、カトリーヌ・ドヌーブ主演の「昼顔」だけは最後まできっちり見られた例外作であった。
そのカトリーヌ・ドヌーブを初めとした往年の女優や映画監督が登場する作品が、エリック・フォトリノ著、吉田洋之訳「光の子供」(新潮社)である。
本作は「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿させるような、フランス映画への愛情あふれるオマージュ作品として描かれている。
光にこだわった照明技師をしていた父親が他界し、息子ジル・エクトールに残されたのは女優のピンナップ写真。
存命中父親は母親について女優だったようなことをにおわせ発言をしたきりだった。
遺品となった写真を頼りに、スクリーンに映し出される母親を追い求める。
弁護士事務所に勤めるジルは昼休みになると、父親の携わった作品上映をしている映画館へ通う。
やがていつも来ている女性マイリス・ド・カルロと親しくなり、愛し合うようになる。
父親の仕事部屋として借りていたアパートメントの一室を逢瀬の場とし半同棲するようになるのだが、マイリスは既婚者でおまけに子供がいた。
そのことを承知でお互いの思いを止められないジルとマイリス。
次第のマイリスの要求が強くなっていき、恐れた感じ始めたジルは距離をとり、若い女性と付き合うようになる。
そして、母親探しは思わぬ方向へ転がっていき・・・
じつはこの作品は先に述べたマイリスとの恋愛と、父親との目に見えぬ確執の二本柱で構成されている。
母親はスポットライトを浴びる光だとすれば、その子供は影となる。
作中主人公は何度も、自分は影の子供だと語っているのが印象深い。
また映画へのオマージュと謳っているが、その本質はフローベル「ボヴァリー夫人」やラディゲ「肉体の悪魔」などフランスというお国柄特有の恋愛が組み込まれているように感じた。
決して派手な内容ではないため少々退屈に感じてしまう方もいらっしゃるだろう。
しかしパリの町並みが詳細で目の前に広がり、主人公たちと次元を超えて歩いていくような錯覚を覚えた。
なんといっても、エリック・フォトリノの最大の魅力は穏やかな文体にある。
さざなみのようにゆるやかな流れ。読み進めていけばいくほど、そのリズムが心地よく胸に響く。
そんな美しい流れの中にも、マイリスの脱いだストッキングの匂いを嗅ぎたいなど変態性をチラ見せしている。
良質な映画を鑑賞したようなそんな満足感を得られた作品だった。